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30年前の1月17日、私は伊丹市に住んでいた。社会人3年目で一人暮らし。木造2階建てアパートに住んでいた。伊丹市と言っても、宝塚市との市境で、最寄り駅は阪急宝塚線の山本。 神戸に比べれば被害も小さかったが、アパートから駅までの道中には、崩れ落ちた家がいくつもあったし、道路に亀裂が入っている個所も多数あった。 阪神淡路大震災という名称にもなっておらず、兵庫県南部地震とか、関西大震災とか、そんな風に呼ばれていた。 まだ震災の全貌もわかっていないような時期だと思う、2月1日号なので・・。 その年の3月末日付で、勤めていた会社を辞め、宮崎県に帰って来た。復興の手伝いもせず、逃げて帰って来てしまったような後ろめたさが、ちょっぴり、ないこともない。 けど、忘れないでいたい・・という思いで、この、震災を記録したグラフ雑誌を買ったのだった。 携帯電話も普及していない時代、NTTが大通りに緊急設置した電話で、多くの人が連絡を取っている様子とか、至る所に安否確認の張り紙がある様子は、たぶん今の若い人には想像もつかないことだと思う。 建物の倒壊とか、土木インフラの崩壊、火災で焼失した街などは繰り返し何度も報道されたけれど、地滑りで多くの住宅が土砂の生き埋めになって亡くなったことは、あまり知られていないのではないか・・と思う。山の斜面に次々と住宅開発を進めて来た阪神地区の悲劇。いや、日本中の至る所で、そのような宅地開発が行われてきた。私の自宅だって例外ではないのだ。 つい先日、日向灘を震源とする震度5弱の地震があったばかり。 結構な揺れの大きさと時間の長さに、恐怖を味わったけど、あれで震度5なら、震度7って、どんだけ??と思ってしまう。 そう言えば30年前は、家具の扉が開いて、中の物が全部枕元に落ちて来たなぁと思い出す。とっさに布団をかぶって身体を守った記憶がある。やっぱ、それだけ揺れたってこと。 神戸の一番の繁華街、三宮駅周辺のビルが軒並み崩れ落ちたなんて、今では想像もつかないことだと思うけど、あれからどうやって復興してきたのか・・・、離れてしまった私は、その大変さや辛さや苦労を実感できずにいる。 その場にいたのに、本当の辛さや苦労を知らないまま、30年が経った・・・・。
by aiarchi555
| 2025-01-17 17:33
| 俗人
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