最新のコメント
お気に入りブログ
ai建築アトリエ ~Ot... glaf blog My favorite ... 住まいとデザインのはなし... yumily sketch レトロな建物を訪ねて 今日もマウスで5分 青蓮亭日記 柴睦巳 備忘録 chisa-photolog Walking Shoes TEIONE BLOG ... 文化遺産見学案内所 モダン周遊Ⅱ 100歳まであと何年? gaRage-Reading2 カテゴリ
以前の記事
検索
タグ
猫
庭
車
写真
建築探訪
栃木県
宮崎県
本
東京
奈良県
材料
長崎県
福井県
大分県
神奈川県
広島
鳥取県
沖縄県
番組
事故
熊本県
子供の頃の思い出
福岡県
うさぎ
建築士会
群馬県
靴
眼鏡
学校で講話
岡山県
延岡
映画
運動
神奈川
サプリメント
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
10月31日 旅の2日目。
全国建築審査会長会議に、延岡市建築審査会の会長代理として出席するために、福井県にやってまいりました。 10時からの開会前に、ホテルから会場に徒歩で向かう途中、福井城址を散策。 天守台の急な階段を上がると、そこには井戸がありました。 福井城の歴史は複雑です。 現在の福井城は、それ以前からあった北ノ庄城を改築して現在に残っているものだということです。 なので、最初にここに城が出来た年代は不詳なのだとか。古文書などの記録では、南北朝時代には城郭があったようです。 その後1575年に、柴田勝家が越前国北ノ庄城を織田信長に与えられ、新たに築城し、立派な天守もあったとか。 それが、1583年に北ノ庄城の戦いで、柴田勝家と妻お市の方(信長の妹:最初の夫、浅井長政を信長に滅ぼされ、柴田勝家と再婚した)が自害し、城は焼失しました。 このあたりの話は、大河ドラマでも何度も描かれてきたシーンなので、福井城のことをいろいろ調べている時も、なるほどなるほど・・と、頭に入りやすい。 現在の福井城を築いたのは、徳川家康の次男 結城秀康。 家康の次男なのに、なんで姓が結城なのか・・・・? 家康の長男は、正室である築山殿(瀬名)の子 信康ですが、信長の娘と政略結婚させられ、その後、信長の怒りを勝って(武田家と通じていると嫁が密告して)、家康の手で殺された話も、また有名ですね。 で、次男 秀康というのは、築山殿の侍女だった「お万の方」と家康の間に生まれた子。しかし、お万の方は、正式な側室と認められず、秀康は、豊臣秀吉に人質として差し出され秀吉の養子となりました。秀は秀吉から、康は家康から与えられて 秀康・・となったとか。 が、秀吉に嫡男が生れたことから、秀康はまた用無しになってしまい、結城家の婿として差し出され、結城姓になりました。 関ヶ原の戦いで功績をあげた秀康は、1600年、北ノ庄城を与えられました。 翌年、築城に着手し、その後1609年には、松平姓を名乗ることを許され、名実ともに松平家の城としてふさわしい城となるように、約6年をかけて城を完成させた・・ということです。 1624年。福井藩3代藩主によって、北ノ庄の「北」の字が、敗北を思わせて不吉だということで、「福居」に改名され、「福井」となったということだそうです。 その後幕末まで、この福井城は、福井藩主である松平家が守りました。 最近の記憶に新しい大河ドラマで言えば、築山殿は有村架純さん、お万の方は松井玲奈さんが演じていました。 天守閣が建っていた場所。 1948年の福井地震で傾いた石垣を、そのまま震災遺構として残してある場所。 天守台の石垣の天端。幅の大きな石が整然と積まれていますね。 天守台から、西側を見たところ。 三の丸跡の芝生広場と、宿泊先のホテルが見えます。 左下には、この内堀を渡る御廊下橋が見えますね。 その⑨につづく
by aiarchi555
| 2024-11-04 15:03
| 旅人
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||