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前振りが長すぎ・・・ですね。
目的地「ちひろの生まれた家記念館」の玄関の木戸を開けると、古い長屋を改修した心地よい空間が待ち構えていました。 記念館は、昔ながらの築100年以上の古い商家と、その奥に新しく建てれた別館、それを繋ぐ土間廊下、中庭で構成されています。 古い商家の方は、撮影禁止ということでしたので。写真は撮れませんでしたが、とてもよく改修されており、絵画を展示するための空調や照明の管理も、素晴らしかったです。 絵本画家いわさきちひろは、この古い商家の離れで生まれたそうです。 ちひろの母、文江は、もともと長野県松本市の出身で、4姉妹の長女でした。 1908年(明治41年)に奈良女子高等師範学校が設立し、その第一期生として入学したそうです。 現在の奈良女子大学の前身です。そうか、先輩だったのですな・・・、知らなかった。なんか嬉しい。 卒業後、開校したばかりの武生町立実科高等女学校に赴任、3年目には寄宿舎の舎監も務め、女学生の憧れの的だったそうです。スポーツも得意だったそうで、快活な人だったのでしょうね。 28歳の時に両親の奨めで、婿養子を迎えました。4姉妹の長女なのでね。 夫は、同じ長野県の出身で日露戦争に従軍の後、東京工科学校を出て、陸軍築城本部で建築技師として働いていたとのこと。 結婚後も文江は、別居生活をしながら教員生活を続けました。 この時代、職業女性の先駆けのような人だったのですね。 そして妊娠がわかってから舎監を辞して、寄宿舎から近かったこの商家の離れの長屋に移り住むようになり、大正7年1918年にちひろは、この家で誕生したのでした。 年が明けて3月、文江は学校を辞め、ちひろと共に東京へ。 ちょうど夫も、シベリアから東京に戻ったタイミングでした。 文江は東京でも教職に就き、東京府立第6高等女学校に勤務し、ちひろもその学校に進学することとなりました。 ちひろ自身がこの家で過ごした時間は、ほんの短い間ですが、武生高女創立30周年記念式典に招かれた文江と一緒にちひろも武生を訪れたとのこと。「私の心のふるさと」と後に記した・・とのことです。 私が母の故郷である京都府舞鶴市で生まれたことから、舞鶴に愛着を抱くのも、きっと同じような気持ちなのかもしれません。 16時前になり、そろそろ閉館の時間なので、絵葉書を数枚買って帰りました。 静寂な時間でした。 淡くにじんだタッチの水彩画、ちひろ独特の画風が、心穏やかにしてくれました。 朝から、慌ただしく、飛行機、バス、電車を乗り継ぎ、ようやくたどり着いた場所で、ホッと一息つけた時間でした。 雪深い北陸の地に、ひとり赴任してきた若い女性教員が、いろんな苦労をしながら仕事や舎監、そして出産、子育てをしてきたことを想像しました。 文江という女性は、賢くもたくましい女性だったのでしょうな。 また武生の駅に戻ります。 今度は、ハピラインふくいの武生駅ではなく、その隣にある、福井鉄道たけふ新駅に向かいます。 その⑤につづく
by aiarchi555
| 2024-11-02 21:12
| 旅人
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