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昨晩遅く、叔父が亡くなった・・との連絡を、父から受けました。
夜遅いLINEだったので、父からの連絡に気が付いたのは今朝になってからでしたが、昨晩、父はどんな心境で夜を過ごしたでしょうか? 父の4つ年下の弟です。 末っ子ながら実家を継いで、鳥取の家で両親(私にとっての祖父と祖母)を看取って来た人でした。 この知らせを受けて、ふと、ある思い出が蘇ってきました。 まだ私が子供の頃のこと、鳥取の祖母が亡くなり、葬式も済み、多分それからだいぶ日にちが経った頃だったと記憶しています。 夜中にトイレで目が覚めて起き、居間の横を通った時のこと。 多分、冬だったんでしょうね、こたつに父が入って座っていたような絵が浮かんできます。 父は、こたつに入って座ったまま、うなだれて、声を殺しながら嗚咽していました。 その時、私は父が泣いている姿を初めて見ました。 子供の頃は、怖い父でした。 私は見てはいけないものを見てしまったような気持ちで、見てないふりをして、そのままそそくさと自分の部屋に戻りました。 父は高校を卒業してから実家を離れ、それからは数年に一度ぐらいしか顔を合わせることもなかったでしょうし、実際、祖母が生きているうちに私が鳥取の実家を訪れた記憶があるのは、ほんの数回程度です。 晩年祖母は脳溢血で寝たきりになりましたが、頻繁に見舞うことも出来ず、弟一家が祖母を実家で介護しておりました。 そのうしろめたさというか、情けなさというか、もっと単純な母を慕う気持ちか、いろんな涙だったのだな・・・と、今は思います。 その弟が、自分よりも若くして亡くなった・・わけです。 叔父はもう何年も前から悪く、先月にはまだ叔父に意識があるうちに・・・と、父は一人で鳥取に見舞に行き、最後の別れもして来たので、もう時間の問題だということは頭ではわかっていたと思います。 兄弟の間柄には、きっと実の親でもわからないような幼少の頃の思い出何かがあるだろうし、それはもう父にしかわからない感情でしょうな。 叔父はあと5日頑張れば、80歳というタイミングで天に召されました。 5月1日生まれで、時は第二次世界大戦の真っただ中、端午の節句目前の男の子の誕生は、それはそれは歓迎されたことでしょう。 (勘違いでした、5月5日が誕生日だったそうで、あと10日で誕生日、、、の間違い) 実は双子として生まれて来たそうで、不幸にも相方が亡くなってしまい、もともと「勇」「武」という名をそれぞれに付けるはずが、二人分を背負って「勇武」となった・・って聞いております。 戦時中、しかも端午の節句の頃に生まれ、勇ましい武将のように育ちますように・・・ということだったのでしょうけど、実際の叔父は、気さくで朗らかで、おしゃべりで声が大きく、とても明るい人でした。 同じ兄弟なのに、父と全然違う・・・、叔父のような父だったら良かったのに・・・と思ったこともありました。 宮崎から鳥取へは、今の時代でも交通手段が乏しく、簡単に行くことができないのですが、子供の頃から数えられるぐらいしか行ったことがない鳥取の父の実家。 戦前からの地主の農家で、私が小さい頃は、まだ五右衛門風呂と汲み取り便所でした。 怖くて、夜ひとりで便所に行くこともできなかった思い出があります。 その実家から地元の大学に通い、大学院まで出て、そのままずーっと実家を守って来た叔父の人生でした。 どうぞ、安らかに・・・・・。 父が鳥取に行く間、自宅療養中の母を診に、宮崎に帰省します。 GWも仕事の予定で、実家に帰る予定がなかったのですが、叔父の計らいでしょうか? 休みは休め、親孝行しろ・・・・って。
by aiarchi555
| 2024-04-26 18:49
| 俗人
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