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プーコが逝ってから、もう10日以上も経ってしまいました。
あんまり時間が経ってしまうと、記憶が薄れてしまうので、8月中に書いておきます。 追悼と言うよりも、むしろ、記録として残しておきたいと思います。 とっても長文になりますので、悪しからず・・・。 亡骸の写真もUPしますので、ご注意下さい。 この8年、プーコはアトリエで過ごしてきました。 時々お外へ出ましたが、敷地の外には出ることもなく、気が済んだらアトリエに戻ってくるので、本当に手のかからない子でした。 そして蓄膿症もこの頃には、結構悪くなっていましたね。 歩き回りながら、くしゃみをしたりすると、鼻から緑色の粘性の強い鼻汁を飛ばしまくり、アトリエの床や壁はいつも鼻汁だらけでした。 なので、ある時から、土足で上がるようにしました。 病院で薬をもらったこともありましたが、ある時期からそれもあきらめ、歳とともに衰えていくのは当たり前のことだと思うことにしました。 鼻汁を拭いて回る大変さに負けて、ケージに閉じ込めて歩き回れないようにしようか‥と思ったこともありました。 でも、それもやめました。 鼻汁のこびりついたアトリエの床を拭き掃除するのに、丸一日かかることもしばしばでしたが、人間の都合に振り回されて来たプーコのこれまでの人生(いや猫生)を思えば、この子の排泄物を、毎日毎日、その都度その都度、きれいに掃除することは、私に課せられたある意味「修行」「懺悔」なのだと思うことにしました。 人間の社会でも、介護の手が足りない施設や病院で、手に負えない利用者さんや患者さんを、部屋に閉じ込めたりベッドに縛り付けたりすることがある・・のを知って憤りを感じたりする一方で、自分もまた物言わない猫に対して、同じような仕打ちをしようとしているのだと気が付きました。 人間と猫が共生していく上で、時には時間的な都合や、衛生面のことを考えると、閉じ込めておいた方がいいことも、あるのだろうとは思います。 一概に、何が良くて何が悪い・・という風に決めつけず、私とプーコの関係を考えた場合において、自分がその時に一番いいと思ったことをしていこう・・、いや、それしかしてあげられない・・・ってことなのですけどね。 そういう訳で、具合が悪くなっても病院にも連れて行かず、所かまわず鼻汁を落とし、嘔吐物をぶちまけ、おしっこの粗相をしても仕方ないとあきらめ、他人に言わせれば「動物虐待」と言われるのかもしれませんが、私は私流に最後までプーコをプーコのままでいさせてあげられたのだと思うことにします。 とっても前置きが長くなりました。 何か、必死に言い訳をしているような内容ですね。 今月8日に具合が悪くなってから、お盆休みで息子が帰省してくるまで持ち堪え、息子がチュールをやると一気に3本も平らげるほど元気が戻ったプーコでした。 まだ自力で立って歩こうとしていたし、ヨタヨタではありましたが実際、歩いてトイレシートまで来て用を足そうと努力していました。 あと一歩というところで間に合わず、トイレシートからはみ出したところに、おしっこを漏らすことが何日も続いて、そのたびに拭き掃除するのは疲れましたが・・・。 でも、シートのあるところでおしっこをしなければ・・・と頑張って歩いてきたのでしょうから、何か、切ないのですよ。 歩いて来なくていいように、いつも寝ているケージ(出入口は開放したまま)のすぐ近くにも、大量にトイレシートを敷いておくことにしました。 お盆を境に、立ち上がることができなくなって、横になったまま、おしっこをするようになりました。 床につけている方の身体の面は、おしっこで濡れていて、動くこともできず、そのままずーっと横たわっているので、一日のうち何度も確認して、その都度、身体をきれいに拭いてやっていました。 18日、息子はまた神奈川に戻りました。 戻る前、きっとこれが最期になるね・・と、お別れのあいさつをしていました。 息子が4歳の時に、保育園に捨てられていた、まだ目も開いていない生まれたての仔猫3匹を飼うことになったのが、プーコとの出会いでした。 息子とプーコは一緒に成長してきました。 息子が社会人1年生になり、一人前に自分で生きていくようになった歳に、プーコの時間は終わるのでした。 翌19日、プーコは逝きました。 まるで最期に息子に会えるまで待っていて、「これからも頑張れよ!!」と見送るまで自分も頑張っていたかのようなタイミングでした。 その日の朝も、おしっこをしたシートの上に横たわっていました。 その日は仕事で外出するまでに、少し時間に余裕があったので、シャワーで洗ってあげました。 あんなに嫌いだったシャワーですが、抵抗する力も残っておらず、されるがままの状態でした。 ただでさえやせ細ってしまった身体が、濡れると、まるで恐竜の骨の標本に毛皮をまとわせただけのような姿になって、抱きかかえたときにバラバラと崩れてしまうんじゃないか・・と心配でした。 「ああ、今日までだな」と確信してしまいました。 なので、シャワーが終わって身体を拭いてやった後、またアトリエに戻る前に、お庭に寝かせてあげたくなりました。 いつも兄妹たちと駆け回って遊んでいた庭、いつも私の帰りを待っていた庭、お天気のいい日は寝そべった庭、虫を追いかけた庭・・・ その緑の草の匂いを最後に嗅がせてあげたくなりました。 朝のまぶしい日光に、瞳孔が細ーくなった目が、文字通り目を細めて空気を吸い込んでいるような顔に見えました。 アトリエに戻って寝かせ、口元にチュールを差し出しても、もう、舐めようともしませんでした。 哺乳瓶でお水を含ませたら、ちょっとだけ舐めました。 午前中、仕事で外出し、お昼に急いでアトリエに戻りました。 まだお腹が上下して息をしていることがわかりました。 プーコの前に座り、様子を見ている時に、ふとスマホにLINEが届きました。 誰からかな?と確認し、短い返事を返して、またプーコに目を戻したときには、もうお腹が動いていませんでした。 ほんの一瞬のことでした。 決定的な息絶えた瞬間を、見届けてあげることができませんでした。 スマホをいじっているほんのちょっとの瞬間に、逝ってしまったプーコでした。 瞳孔が開いて、まるで仔猫の目のように、大きな深いブルーのビー玉のようになりました。 そして、みるみるその光沢が失われ、白濁していくのがわかりました。 プーコは大きく目を見開いたまま逝きました。 お昼休みに私が一旦帰ってくることを知っていたかのように、待っていてくれました。 そして、最期の最期の一瞬に、私に会えて、そのまま逝きました。 もう死ぬことはわかっていたので、覚悟もできていたし、そんなに悲しくないと思っていました、死ぬまでは・・・。 でも、臭いTVドラマのように、死んだとわかった瞬間には、不覚にも号泣してしまいました。 少しの時間、途方にも暮れました。 そして、まだ夏季休暇中の息子に、電話しました。 午後3時以降に、また現場に行かなければならない予定でした。 翌日はお引渡し、その翌日もその翌日も、外出する予定がありました。 この猛暑続く中、亡骸をこのまま数日間も、置いておくことはできませんでした。 なので、悠長に悲しみに浸っている暇はありませんでした。 30分ぐらい泣きぬれていましたが、腰を上げ、埋葬することにしました。 近所に、ペット火葬をしてくれるところがあることは知っていましたし、実際に、これまで何匹かの猫を火葬したこともありました。 ですが、こんなに小さくなってしまったプーコを火葬したら、きっと骨さえも残らないかもしれない・・・と思ったし、何しろ時間がなかったし、お金もかかるし・・・。 どこまでも自分に都合のいい私・・・、ごめんねプーコ。 このまま、お庭に埋葬することにしました。 アトリエの窓際に紫陽花が植わっています。 プーコの寝床のケージは、その窓際に置いてありました。 最期逝ったのも、その紫陽花の前のケージの中でした。 なので、紫陽花の根元、アトリエの窓のすぐ下に、穴を掘ることにしました。 穴の中にプーコを寝かせる前に、家の中の猫さんたちと庭の猫さんたちに、お別れの意味で、プーコの亡骸を見せました。 近寄ってきてクンクンする子もいました。 私が泣いているのをじーっと見ている子もいました。 特に、庭のポンタ君とは、入念にお別れしてもらいました。 ポンタを去勢手術した前後、アトリエで数日間一緒に過ごし、短い時間でしたが、疑似母子のような生活を共にしましたのでね。 きっと、猫にも、事態は伝わったと思います。 掘った穴の中にプーコを寝かしました。 一番泣いたのは、上から土を掛ける瞬間だったでしょうか? きっと人間だったら、火葬場で、火の中に御棺を入れる瞬間の気持ちと一緒でしょうか? 生きていた時の姿形を、もう2度と見ることができなくなる瞬間・・・。 隣近所に、もしかしたら聞こえていたかもしれないぐらいに、嗚咽が止まりませんでした。 紫陽花の木に、花が色あせて枯れてしまっても、ずーっと切らずに残していた枝が数本ありました。怠慢だっただけなのですが・・・。 その花をようやく切って、プーコのお墓の上に置きました。 人間とは・・・、いや、私という人間は、本当に現金な生き物だと、自己嫌悪すら感じますが、プーコを弔った後、午後の仕事に出かける前に、遅い昼食を摂り、また何事もなかったかのように仕事に出かけました。 逆に言うと、仕事が忙しかったお陰で、めそめそしなくて済んだのかもしれません。 いつもいつも忙しい・・とほったらかしにされていたプーコ。 死んだ当日でさえも、ゆっくり寄り添ってはくれないのね・・・と、穴の中で私のことを恨んでいるかもしれません。 ごめんねプーコ、ごめんねごめんねごめんね。 少し時間が経ってしまって、何日の夜だったかさえ忘れてしまったけれど、ある夜、ベッドの中で、ふとプーコのことを思い出してわんわん泣きました。 何だかそれを機に、吹っ切れたような気がします。 こうして、思い出してブログを書いている最中にも、涙がじんわりと出てくることがありますが、わんわんと泣くことはなくなりました。 そして、実際のところ、朝晩のプーコのお世話がなくなったことは、とっても楽なことです。 日々のルーティンになっていたことが、ある日突然しなくてよくなっても、気になったりすることが数日間続きました。 アトリエにいると、ふと振り返ってプーコの様子を見る動作すら、癖になってしまっていました。 ですが、いつまでもアトリエをこのままにしておいてはいかんのでね。 プーコが使っていたケージや、敷物や、タオルや、トイレや、いろんなグッズを、アトリエから出して片づけました。 鼻汁がこびりついていたものもありましたので、きれいに洗ったり、消毒したりして、片づけました。 アトリエが以前のように片付きました。 身体から出る膿や排泄物の臭いや、鼻汁まみれの床のせいで、アトリエに人を招き入れることを申し訳なく思っていましたが、老猫の介護の場から、本来の仕事場として戻さなければなりませんな。 仔猫だった時の写真も、過去のいろんなメディア類に残っているのでしょうけど、すぐには取り出せません。 なので、本当に、ここ数年の写真しかないのですが・・・・。 プーコオンパレードで閉めたいと思います。 先に逝った兄妹たちと、会えたかな? プーコ、安らかに・・・・。
by aiarchi555
| 2022-08-31 14:02
| 俗人
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