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録画したままずーっと見る暇がなかった番組を、今晩、いくつか見ました。
「ニッポン印象派 れんげ草」 私の実家がある住宅団地は、住宅供給公社が昭和43年から44年頃に開発・分譲した、宮崎市内で最初の「団地」と呼ばれるところ。 整然と区割りされた戸建て住宅が建ち並び、商店街があるわけでもなければ、下町の風景もなく、山や川があるわけでもなく、良く言えば整えられた環境のいい住宅地なのでしょうけど、いわゆる「町」という多様性ひしめく「社会」は、そこにはなく、団地に住む子供は、団地の端に建てられた小学校に通い、日々の暮らしの中で、団地の外に出ることはほとんどないのでした。 そんな環境で育ったからか、全くの世間知らずのまま、大人になってしまった感があります。 私の家は「団地入口」というバス停に割と近い区域にありまして、そのバス停の東側には、宮崎市内の穀倉地帯とも呼べるほど広大な田んぼが広がっていました。いや、今も変わらず農地が広がっています。 その田んぼ、子供の頃と明らかに違うのは、春の色です。 子供の頃の田んぼは、ちょうど今ぐらいの季節は、ピンク色の海でした。(写真は録画していた番組) 今でこそ国道10号線バイパスが通り、ロードサイド型の店がたくさん建ち並びましたが、当時は地平線までずーっとピンク色が続いていて、あまり奥まで入って行くと、帰って来られなくなりそうな気さえしていました。 あの果てしないピンク色の海は、もう今は見ることができません。 時代のおおらかさが許してくれていたのでしょう、勝手に田んぼに入って、れんげ畑を荒らしていても、誰にも怒られたことがありません。レンゲの花冠をいくつもいくつもつくったり、走り回ったり、ザリガニを捕ったり、暗くなるまで遊びました。 団地の中には児童公園もありましたが、身近にある「自然」は、まさにこの田んぼしかなかったし、絶好の遊び場だったわけです。 今思えばあのレンゲ畑は、私が子供の頃に「自然」に触れることができた貴重な場所だったってことでしょうね。 番組を見て、レンゲ畑が田んぼにとってどんな役目があったのかを知りました。 レンゲの花がどんな構造なのかも知りました。 そして農家の人たちが、わざわざ種を撒いてレンゲ畑を作っていたことも知りました。 種からどんなふうに根が出て、芽が出て、レンゲ畑になっていくのかを、知ることが出来ました。 時代は変わり、「超早場米」とか出回るようになって、もう4月になれば田植えシーズンが始まるし、それに、レンゲなんか手間のかかることはもうやってられなくなったのでしょう。人工肥料もいろいろ出来たのでしょうしね。 そして農薬をまき散らして害虫退治の効率化を図り、そのせいでミツバチが生きていける環境がだんだん減ってきて、自然の力で行われてきた受粉を助ける虫がいなくなり、植物の生育サイクルも狂ってきて、それを補うためにまたまた人工的な何かに頼らざるを得なくなって、悪循環の輪廻が始まって抜け出せなくなって、何か災いが起こればその対処法がさらに拍車をかけて悪い方へ悪い方へと導いていく・・・。 農業だけに限らず、現代社会のありとあらゆる「効率化」「経済優先」「便利」を追い求めるツケが、必ず廻り回って人間に還ってくるのですよね。人間だって自然の生態系の一部なのだから・・・。 一面がピンク色に染まるあの風景を、また見てみたい・・・と、ちょっと懐かしくなった番組でした。
by aiarchi555
| 2020-03-28 23:43
| 俗人
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