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あれから25年。
阪神淡路大震災の時、私は25歳でした。 そして今年は50歳。 時間と記憶は不思議な関係だと思います。 時間が経つから薄れる記憶と、時間が経って鮮明になる記憶とがあるのですね。 当時、伊丹市と宝塚市の市境に近い木造2階建てのアパートに一人暮らししていました。 もう今は亡くなった伯父の家が同じ阪急宝塚線の豊中にあって、社会人1年生の時はそこから大阪市内に通っていました。 乗り慣れた電車と、伊丹空港に近くて帰省の際に便利がいい・・・ということ、 そしてアパートが新築だったこと、などなどの理由で、社会人2年目からそこに住み始めました。 そして社会人3年目の終わりごろ、震災に遭いました。 新築アパートは全然被害もなく、無事でした。 近隣は、その当時ちょうど区画整理の最中で、新しく造成された土地に、新しい建物がボチボチ建ち始めていた頃でしたので、目立った被害もあまりなかったのですが、駅まで歩く途中、古い家屋が隣接する池に落ちかけている様子とか、道路に亀裂が入って波打っている様子とか、液状化した地面とか、あったことを思い出します。 ベッドの枕元に置いていたガラス扉のキャビネットから、モノがどんどん頭の上に落ちてきて、布団をかぶってしのいだこと、 その後ビックリして電話したこと、 2回目の電話をかけようとした時にはもう通じなくなってしまったこと、 最初のうちは電気が来ていたのでTVで阪神高速がぶっ倒れている様子を見て愕然としたこと、 その後電気も来なくなり、アパートに備えついていた冷蔵庫内の霜が溶けてバスタオルを突っ込んで水を吸わせたこと、 ガスが来なくて寒かったこと、 駅前のコンビニまで歩いて行って棚に何もなかったから仕方なくまた歩いて帰ってきたこと・・・などなど思い出します。 伯父がその日の晩にすぐに車で迎えに来てくれて「しばらくうちに泊まりなさい」と言って下さりお世話になったことも思い出します。 会社に出社しても、被災して避難している同僚がいたりして心配したこと、 地震から1週間か2週間経った後、長田区の火災の跡を調査しに上司や同僚と電車で被災地に向かったこと 被災した場所にカメラを向けることにためらいを感じ、写真を撮れなかったこと 神戸港の護岸がめちゃめちゃになっていたこと この被災地の様子を忘れないように・・・と、朝日グラフの写真集を買ったこと あれから25年。 私の人生のちょうど真ん中の出来事になってしまったのですな。 私はあの地震で、何も失いませんでした。 今日の新聞には、家族をいっぺんに亡くし自分だけが生き残った当時4歳だった子供が、今年29歳になるまでの記事が載っていました。 あの地震で、人生が思いもよらない方向へ激変してしまった人々がたくさんいたということ。 同じ25年という月日でも、背負ってきたものが全然違う・・と思いました。 寒い真冬の出来事でしたので、当時の避難生活の辛さは半端なかったと思います。 そして今も、地震や津波や水害や土砂災害などの自然災害に苦しめられ、まだ避難生活を続けている人たちがたくさんいることを、改めて思い起こします。 あれから四半世紀という節目の年、記憶が薄れないうちに、書き留めておきました。
by aiarchi555
| 2020-01-18 14:24
| 俗人
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