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説明が後先になってしまいましたが、この建物は、駐日イギリス公使だったアーネスト・サトウの個人別荘として明治29年に建てられました。
英国大使館別荘として平成20年まで長きにわたって使われ、その後栃木県に寄付されたものを、復元工事して現在、記念公園として整備されたものです。 1階の展示室には、アーネスト・サトウの生涯についてと、この建物の復元工事に関する写真や資料が展示されています。 サトウという姓は、Satowという本名だそうです。てっきり日本に定住するようになって日本名「佐藤」と名乗った・・のか、妻の姓が「佐藤」だったのか・・と思っていましたが、そうではなかったようです。 幕末の日本に通訳として来日し、その後、長州藩の伊藤博文とか井上馨をはじめ、多くの日本の歴史上の人物と交流がありました。 日本が鎖国の時代から幕末、開国して海外の国々と様々な交渉・貿易をするにあたり、日本語が堪能な外国人として、重宝されたということでしょう。 幕末を舞台にした歴史ドラマなどには、必ず登場する外国人の一人です。 生涯独身だったそうですが、日本人の内縁の妻との間に子供を設けています。次男、武田久吉は有名な植物学者で、牧野富太郎先生ともつながりがありました。 サトウの生涯、当時の英国文化、日本の幕末時代、奥日光が西洋人の別荘として開かれていった経緯や当時の様子、そういった数々の資料が数多く展示されています。 また、この建物を復元する際の工程写真も興味深かったです。 暖炉のマントルピース部分は、解体すると復元が困難なので、そのままの形でそのままの位置に残したまま、木造の部分を一旦全部解体し、また同じ場所に再度立て直す・・という作業。 そして、湖への擁壁ともいえる三段石積みも、一旦すべて解体して、新たに積み直したそうです。 歴史ある建物の復元、避暑地文化の継承、観光産業の活性化に積極的に取り組んだ栃木県に敬意を表します。 サトウが来日し活躍した時代、英国では、手仕事の復興と産業デザインの改良を目指したアーツ・アンド・クラフト運動が盛んだったとのこと。 当時デザインされた家具類が建物と共に、寄贈され、インテリアに使われていました。
by aiarchi555
| 2019-11-10 22:42
| 旅人
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