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ついに読み終わりました。
「ねじまき鳥クロニクル」3部 鳥刺し男編。 現実と非現実、現在と過去を行ったり来たり・・・。 猫だったり、井戸だったり、顔のあざだったり、かつらだったり、それが何を暗喩しているものなのか・・・。 だから、これまで村上春樹のものはあまり好んで読まなかった・・というのも事実です。 リアリティーのないものが理解できない・・というか、自分の中にあるものでしか物事を見ることが出来ない・・・という薄ぺっらい生き方をしてきたのでしょうね、きっと。 正直、この物語も、心底、理解したとは思えないし、どちらかと言えば、よく分かっていないと思います。 でも、こんな文学表現の「手法」があるんだ・・ということや、それがものすごく綿密なのもであることに気が付けたと思います。 建築で言うならば、そんな細かい部分の納まりにこだわって、誰が見るのか・・とか、何の意味があるのか・・的なことが、実は一番重要だった・・的な感じ?。 そして、内容の解釈については、それはもう、人それぞれの捉え方があるに違いないし、ここに私の読書感想文を書き始めたら、おそらく1冊の本が出来上がるぐらいに、思うことはたくさんあるわけです。 私なりの解釈で読めばいいのだ・・と思えるし、その一方で、何かものすごいメッセージが込められていて、そこに気付くべきなのか・・・と、不安にもなってしまいます。もし、そんなメッセージが込められているとして、そのメッセージに、自分は気付いているのか気付いていないのかも分からない・・・。 ただ、全てをクリアに理解できない中にも、若い時に村上春樹を読んで「うーん、分からん・・・」ともやもやしたような気持ちになったのとは明らかに違う「響き」というか「心のあざ(オカダトオル的に言えば)」というか、そんなものが残った気がしています。 で、ちょっとだけ、今、思いつくことだけを書いてみたいと思います。 「牛河」という男が、「僕」の夢に出てきた時、身体が犬になっていて、顔だけが牛河だった・・・という場面。 「もっと早く犬になっておけばよかったです。」 それに対して、第一話の冒頭から飼っていた「猫」がいなくなります。 猫は犬と違って、飼い主に従順ではないし、何にも束縛れない「自由」と「平和」を象徴するものとして登場しているのではないかと思われます。 「笠原メイ」の「アヒルのヒト」たちの話には、とても感情移入してしまって、私にとっての「私の家の庭の猫」たちの話に、どうしてもダブらせてしまうのです。 5月生まれの「笠原メイ」は、ある部分では「私」であり、物語の中で17歳の彼女は、この先きっと、幾多の波に遭遇しながらも、最後には「幸せ」を感じることができると確信して読み終わることが出来たことで、涙がこぼれたのでした。 第2部「予言する鳥」。 村上春樹は本当に予言者なのではないか・・と思えるのは、まさに今この時代にリアル「綿谷ノボル」が誕生してしまった・・・ということ。 その祖父が「満州」で多大な財を手にし、そして「戦犯」を免れて生き続け、その血縁が、既得権を利用して、この物語に出てくるような暗黒の時代をまた繰り返さんと画策していることです。 私たちが、学校では教えてもらわなかった「満州事変」から「終戦」までの詳細な近代史。 そこに隠された、吐き気がするほどの「暴力」や「虐殺」の歴史。 それを知っているのか知らないのか・・・。 あの地獄を体験した世代が、二度とこんなことはあってはならない・・・と誓った「平和憲法」を、メディアを「犬」にして、書き換えようと本気になっています。 もしかしたら、そのような時代が訪れることを予想していたのかもしれませんし、その「綿谷ノボル」に対峙すべきなのは、物語の便宜上「オカダトオル」という名を付けられた「すべての私たち」なのではないか・・・と、そういうメッセージなのではないか・・・というのが、私なりの解釈なのでした。 ちょうど「加納クレタ」がクレタ島に行く・・と言っていた辺りを読んでいた時、たまたま付けたTVの旅番組で「クレタ島」の特集をしていたのには、正直驚きましたし、もしかしたら、私には何らかの力が備わっているのか・・と、自分の能力を過大評価してしまいがちでした。 が、それこそが、村上春樹が警告したいことだったのかもしれません。 一方的に垂れ流されるTV画面からの情報・・・、それはまるで、自分「個人」に、何かを訴えているような錯覚を感じ、何の疑いも無くその力を信じ込んでしまう・・・。 私たちは、抗えない「力」に無意識に導かれて、それがどこに行きつこうとしているのかさえ考えることもしなくなったどころか、自分に何か特別な力が備わっている・・とさえ錯覚してしまう怖さを、考えてしまいました。 「井戸の底」というのを現実社会に置き換えると、はたして何処ととらえればいいのかは分かりませんが、過去の何か、過去のどこかとつながっている、小さな小さな関係性が「井戸の底」ならば、今生きている私たち一人一人が、自分と「過去」とのつながりを、もっと深く静かに知ることの大切さを感じます。 その「過去」がいいものであっても悪いものであっても・・・です。 そういう意味で、この歳になって、自分の先祖のことを知りたい・・と思う探求心は、ごく自然なことだったのかもしれないし、生きているうちにもっと調べてみたいと思います。 先日買って読んだ「村上春樹特別寄稿」の中の「父」のことは、とても興味深く読みましたが、「ねじまき鳥・・・」の方が、それよりももっともっと以前に書かれているわけで、村上春樹がある意味において若い時分から「生い立ち」とか「父の人生」に何か特別な思い入れを持っていたことを伺えます。 それは、自分の血縁に向けた単なる「愛執」ではなく、全人類に向けた「慈しみ」に近いものであってほしい・・と思うのでした。 世に言われる「ハルキスト」という人々のことが、これまであまり理解できませんでした。 が、読んだ作品についてのそれぞれの解釈を「あの場面はああいうことじゃないか・・・」「これは○○を象徴しているのだ」とか語り合いたいというのは、それだけ、物語が抽象的であるにもかかわらず、そこに込められた「メタファー」を読者一人一人が強く感じ取ることが出来る物語だからなのだ・・ということを、今回、読み終えて、少しだけ理解したような気がします。 さて、今日が返却期限になっています。 19時の図書館の閉館時間までに、返しに行ってきます。 少し脳みそを休ませたいので、次は短編モノか何かを借りて来たいと思います。 お粗末な読書感想文でした(笑)。
by aiarchi555
| 2019-06-26 17:16
| 趣味人
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Comments(1)
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