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浜田知明という芸術家を知りませんでした。
熊本県出身の版画家・彫刻家で、昨年100歳の生涯を閉じました。 その追悼として開催された、回顧展でした。 見たい・・と強く思ったのは、知明が日中戦争で中国で従軍し、その体験が、後の芸術活動の根源にあった・・ということでした。 満州事変から日中戦争へ・・という日本が戦争に突き進んでいく時代のことを、最近、もっと知りたいと思うようになり、折に触れ色々と調べたり本を読んだりしています。 何年も浪人してやっと入学する人も珍しくなかった中、16歳という異例の若さで、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学するほどの才能を持っていながら、その当時の日本の美術教育には面白みを感じず、シュールレアリスムに傾倒していきます。学校の教育方針に沿わない作品を描くことで、教授たちからの評価は悪かったとのこと。教師陣の圧力に負けず、自分の表現方法を貫いていく姿は、とても現代の10代の若者ができることではないよな・・と思います。 芸術家としての芯の強さを、この頃から持ち続けていたということでしょう。 20歳の時、国家総動員法が成立し、徴兵検査を受けて、21歳で入隊、22歳で中国大陸へ出兵しました。 ちょうど同じぐらいの年齢になった息子を想います。 こんな青年たちが、軍隊の厳しい上下関係の中に置かれ、初年兵の時にはまさに「芋虫」のような扱いを受け、仲間たちの死に遭遇し、中国で日本が犯した残虐な加害行為を目にしてきたのです。 年表のように知明の生きた時系列で展示が構成されていましたが、その若い章に展示されていた「初年兵哀歌」の作品たちは、涙腺の刺激になりました。 銅版画という技法について、実際に作っていく過程を9分間の映像で見せるコーナーもありました。 銅の板に、細かい引っかき傷をつけるエッチングは、気の遠くなるような細かい作業だし、それを版画として完成させるまで、何と手間のかかること・・・、そして思った仕上がりになるまで、何十回も刷り上げる作業。 戦後、知明はあえてこの技法で作品を作っていくことを選びます。 戦争で受けた深い心の傷や反戦のメッセージを絵画で表現するとなると、どうしても情景の描写、色使いや絵筆のタッチなどで表すことになるけれど、銅版画というエッチングの凹凸だけで表現する・・ということは、込めたいメッセージを「かたち」として表現することに集中できる・・・むしろその方が、よりメッセージを強く表現できるのではないか・・・?というようなことだったでしょうか(何か文章にするのは難しい・・、展示パネルのような説得力のある文章が思い出せません)。 知明が戦地で描いたスケッチの「死体」や「風景」は、その残虐性とか美しさとかよりも、「造形」としての関心から・・・ということも説明されてありました。 芸術家としての「かたち」を捉える目に集中することで、そこに感情を伴わせれば人間としての精神が保てない・・・という極限状態だったのかもしれない・・とも想像してしまいます。 ブロンズの彫刻の数々も、見ごたえありました。 いわゆる、芸術作品としてのブロンズ像ではない、何というか「欲しい!!」と思うのです。売ってるものなら、買って帰りたいと思うのです。 展示の内容についての説明は、下手に私が詳細を書かないほうがいいと思いますので、このへんで・・・。 帰宅してこれを書いている夜中でさえも、まだ心の興奮が冷めないほどです。 分厚い作品集を買ってしまいました。永久保存版です。 純粋に、芸術作品の展覧会として鑑賞しても、その作品群の、静かだけど強いメッセージを感じ取ることができました。 そして同時に、作家の人生(100歳まで生きたのですからね)を知ることで、年齢を重ねながら作品がどう変わっていったのか・・とても興味深かったし、 戦争という、私たちが知らない時代の、本当のことを、また一つ知ることができたことも収穫でした。 青春時代に体験し見た残虐な出来事を、なかったことにして忘れようとするのではなく、生きている限り何度も何度も記憶を呼び起こして作品にしていくことは、それはそれは苦しい作業だったのではないかと思います。精神を病んでしまいそうなぐらいに・・・。 もしかしたら、その瀬戸際を生きてきたのではないだろうか・・と、胸が苦しくなるような作品もありました。 96歳の時の知明の写真が、作品集の中にありました。 杖をついて立っていますが、とても96歳とは思えないしっかりした立ち姿で、すこし微笑んだ丸顔の優しいおじいちゃまという感じ。 若い時に戦場の前線に赴き戦っていた人が、死ぬ間際にはこんなにも穏やかな姿になれるのだ。 中国大陸で見た残虐な戦争の光景、日本が犯した加害行為を、戦後もずっと忘れることなく、死ぬまで作品のメッセージに込め続けてきたことが、一人の人間としての贖罪だったのかもしれないし、それをやることができた安堵感みたいなものが、こんな優しい穏やかなお顔をさせているのかもれしれない・・・と思いました。
by aiarchi555
| 2019-05-16 02:39
| 趣味人
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