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大河ドラマ「いだてん」を毎週欠かさず見ております。
時は明治の末期、当時の東京の街の様子や時代背景などを興味深く見ております。 私の曽祖父は、日露戦争で負傷し退役軍人となり、明治40年に麻布区材木町(現材の港区六本木7丁目あたり)であんころ餅やを始めました。 そして、歩兵第一連隊(現在の東京ミッドタウン)、第三連隊(現在の国立新美術館別館)の酒保(軍に納める嗜好品販売)商人として生業を立てておりました。 自宅は、小石川区雑司ヶ谷(現在の目白台3丁目あたり)にあったそうで、近くには東京高等師範学校(いだてんの舞台)もありました。 曾祖父の長女(つまり私の祖母)は、東京生まれ東京育ち。 相当な才女だったようで、東京女子医専(現在の東京女子医科大学)に合格しながらも、家庭の経済事情から入学をあきらめざるを得ず、東京府立第一高等女学校(現在の都立白鴎高校)に通いました。いだてんの主人公、金栗四三からも教わったとのこと。 そこで教師をしていた祖父と知り合い、結婚して、私の母が生まれた・・・という訳。 祖父は東京高等師範卒で、金栗四三の後輩になるそうです。 TVドラマなのでフィクションとはいえ、当時の東京がどんな街だったのかを見ながら、曾祖父、祖父、祖母が生きた時代を想像するのが、毎週の楽しみとなっているわけです。 昭和11年2月26日に起きた2.26事件は、曾祖父が餅を納めていた歩兵第一連隊と第三連隊が中心メンバーとなって引き起こされました。 祖母は当時小学校の高学年だったのではないかと思います。東京にはその日戒厳令が敷かれたといいます。 現代になって、学校では近代日本史はあまり教えてもらえなかったし、事件の内容など詳しく知りませんでしたが、祖先の歴史を知るにつれ、当時の日本の社会情勢や、どんな時代に生きてきたのかをもっと詳しく知りたくなり、関連する記事や当時の映像データなどを見たりしています。 そしてそんな矢先の一昨日、家族の2.26事件が勃発したのでした。 宮崎市内に住む両親、その日も母は日課となっているウォーキングに、夕方一人で平和台公園に出掛けたそうです。父は、庭で植木いじりをしていたとのこと。 母は転んでしまい、激痛のあまり動けなくなり、スマホから自宅に何度も電話をするけれど、父は庭に居て電話に気づかず・・・。 母はたまたま近くを通った人に助けを求め、タクシーを呼んでもらって帰宅。 タクシーから降りることもままならず、そのままタクシーを病院に行かせ、父は後から保険証やら何やらを準備して病院に追いかけたそうです。 検査の結果、膝のお皿がぱっくり3つに割れておりました。 すでに夕方、通常の診療時間が過ぎており、紹介状を書いてもらって市郡医師会病院に・・・。 夜間受付の人もたくさん来ていて、ずいぶん待たされた・・とのこと。 そして、即入院が決まり、今日手術を受けました。 昨日、父が遠慮がちに私に電話をして来て、そのことを知りました。当日、すぐにでも電話してくれれば良かったのに、まあ、夜間の病院で、検査や入院手続き、手術の説明など、大変だったのでしょうね。その日、父が家に帰りついたのは23:30だったいうので、電話する元気もなかったのでしょうな、気の毒に・・・。 昨日、母を見舞いに行きました。 右足を固定され、寝たきり状態。寝返りも打てませんし、もちろんトイレに自分では行けません。これまた気の毒に・・・。 幸い、手術前の検査で、骨密度がしっかりある・・ということがわかり、割れた皿を繋ぐボルトを骨に埋め込む手術が出来ると判断されました。 術後しばらく入院生活、そして退院後もリハビリが続くのでしょうな。 母は病院に寝ていればいいし、身体を拭いたりシャンプーしたりトイレの世話とか、全部、看護師さんとか介護士さんがしてくださいます。 むしろ、家のことをしなければならない父のフォローをしたいと思い、お見舞いの後、実家に寄りました。 父は昔から、料理でも洗濯でも何でもこなせる人でしたから、相変わらず「余計なことはせんでいい・・」的な口調で、結局昨晩のご飯の支度も父がしました(笑) 母の病院から持って帰って来た使ったタオルなどを洗濯しようかと思いましたが、お風呂の残り湯を使ってするから、まだ回すな・・・と。 母から頼まれた着替えやスキンケア用品、バスタオル等を、父に病院に持って行ってもらうようまとめて置くことだけしかできませんでした。 もう少ししたら、きっと父も疲れが出てくるでしょうから、その時が本当の出番でしょうかね。 母の膝の画像を、記録としてUPしておきます。 手描きで書かれた線が、ボルト埋込の位置。 上下に2本、横から1本入れるそうです。 タイトルにふさわしい、グロテスクなこわーい画像です(笑) さっき、母からLINEが届きました。 無事に手術が終わりました・・とのこと。 手術の時間は2時間強。 昨晩、父と二人で晩御飯。 父と二人っきりで食事なんて、これまで50年の人生で記憶にありません。 母が転んでからの時系列を、父が話してくれましたが、夜中病院から帰って来て留守電を再生したら「お父さん、助けて・・・お父さん、助けて・・・」と母の声が録音されていたとのこと。 電話に気づいてやれなくて可哀そうだった・・と少し落ち込む父の姿が、切なかったです。 週末、またお見舞いに行ってきます。
by aiarchi555
| 2019-02-28 16:48
| 主婦
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Comments(1)
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