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昨日は、息子の合格祝いということで、宮崎市内から両親がやって来ました。
せっかくなので外で食事をしようと、自宅から車で10分ほどの赤水にある「料亭ひだか」へ出かけました。 「料亭ひだか」は、「日高家住宅」として延岡市の有形文化財に指定された、明治29年築の木造近代和風建築物です。 日高家の歴史を紹介する記念館的な役割と、その建築物を保存する意味で、若奥様を中心にここで料亭を始めれたとのこと。 延岡市の都市景観審議委員を務めていた当時見学したことはありますが、その時は外観だけしか見ることが出来ず、住宅の中に入ることが出来たのは、昨日が初めてでした。 5月までの期間限定で、建物見学を兼ねたランチメニューがありましたので、前日に予約をして訪れました。 若奥様が着物を着て一組一組お客様を玄関までお出迎えくださり、建物内を案内してくださりながら、お部屋の特徴や文化財の由来やその価値などをご紹介・解説してくださいます。 私の職業的興味ももちろんあったのですが、自分の住んでいた土々呂・赤水の地区が、漁業で栄えた歴史を知らないまま東京に旅立って行こうとしていた息子にとっても、故郷のことを知るいい機会だったのではないかと思いました。 明治8年「ブリ沖廻し刺網」という革新的な発明をもたらした日高亀市。その息子、英三郎が現在の東京海洋大学で学術的に水産学を学んだ功績や、全国各地で漁法や新しい網が改良される原点となり、漁業大国日本の礎を築いた歴史が、ここにあったことに驚きました。 動物性たんぱく源の摂取がまだまだ貧しかった当時の日本にとって、ブリの大漁が食卓に与えた栄養学的な功績も大きかったとのこと。 漁法の発明で画期的に水揚げ高が伸び、また網の発明で日本の水産業を牽引してきたことで財を成した日高家。現在まで「ブリ御殿」と呼ばれ続けている建物です。 当時授与された多くの勲章や、日本を代表する文化人たちからの贈答品の数々が展示されていて、明治・大正・昭和初期の日本の文化財を所有する美術館的な役割もある建物でした。 当時はまだそんなに普及していなかったであろう写真も数多く残されており、財界人や文化人がこんな田舎の赤水まではるばる訪れ、延岡のアユやなに船で出かけたりして遊んだ様子などが収められていました。 各界からの客人が訪れたと言われる日高家の建築的な見どころもたくさんありました。 部屋数は27以上もあり、大広間や長い廊下に使われた継ぎ手のない木材、大きな1本ものの丸太には圧巻です。4面柾目の木材も年輪の大きな大木の芯材からしか取れないというもの。書院や欄間のさしもの細工は一つ一つのお部屋で全部違うものが使われていたり、広間の畳みの縁の柄はいわゆるリピート柄で、畳みを敷きならべた時に縁の柄が1ミリも違わずに繋がっていく美しさ、ふすまの柄もそれぞれのお部屋で違うものが張られ、明治時代には珍しく自家発電によるランプやシャンデリアが使われていたこと、見るもの見るものが驚きで、本当なら、もっと時間をかけてゆっくり見学したいところでした。 日本が近代国家となり、第二次世界大戦がはじまる前の昭和12年に、日高家は倒産する運命にあったとのこと、住宅はもとよりその文化財の数々も抵当に押えられたそうです。戦後、買い戻された品々に、ひとつひとつ歴史があるのだな・・と感じました。 食後には、今はお土産屋スペースとなっている「厨(くりや)」も見学させていただきました。 魚をさばいたり炊きものをしたりするカマドがある下厨と、お座敷に出すお料理をしたり配膳をしたりする上厨があるそうで、下厨を見させていただきました。 ブリをさばく為の専用の流し台があったり、海の近くなので海水が湧く井戸でなく山から湧く純水を汲んできて貯めて置くための大きな水がめなど、興味深いものがたくさんありました。そして、当時は40人もの女中さんが働いていたとのこと。40人の女中さんの集合写真もあって当時の日高家の繁栄ぶりが残されていました。 驚いたのは、市の有形文化財に指定されてからも、市からの補助金は一切なく、どんどん老朽化していく住宅の補修にかかる費用は全て私費なのだそうです。 取り壊してしまえば二度と建てることは出来ない貴重な文化財を、今のうちにもっと大切保存し、記録として残し、故郷の歴史として後世に残していきたいなあと思いました。 今回は、両親も息子も一緒だったし、食事の前のプチ見学的な感じでしたので、写真は撮っておりません。 唯一、お外にある、朽ち果てつつある蔵だけ撮らせてもらいました。白い花、何の花でしょうかね? 近所だし、カフェも併設されいらっしゃるので、また訪れたいと思います。 帰りに、その日高家の目と鼻の先にある「宮崎大学農学部附属水産実験所」に立ち寄りました。赤水の半島の先端に立地しています。 父が在職中にはこの実験所は「水産試験場」と言われ、父は30数年に渡り、この水産試験場に学生を連れて度々訪れ、宿泊したり海へ出たりしながら実習をしていたそうです。 私が子供の頃は父が土々呂・赤水で仕事をしていたことなど露知らず、大人になってその土々呂に家を建てて住んだのも本当に妙な縁です。 父が在職中の時に船を出してくれたという元同僚の人が、まだ現役で実験所にいらっしゃり、ばったりお会いできたようでした。父よりも20歳近く若いその方も、すでにうっすら白髪のいいオッサンでしたが、当時は父もその方も若く、学生と一緒に楽しく海での時間を過ごしたのでしょうね。 孫の旅立ちを祝った矢先、偶然にも懐かしい人との再会もあり、両親にとってもいい時間だったのではないでしょうか? さて、週末にはアパートの鍵を受け取って引越し作業のため、息子と一緒に東京に行ってきます。 一旦、また延岡に戻ってきますが、月末には一人で東京に旅立ちます。 息子にとっての故郷は、この土々呂の海なんでしょうな。
by aiarchi555
| 2018-03-14 13:10
| 趣味人
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