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旅から帰ってきて1週間も経つと、そろそろ記憶が「過去」の引出しに移行しそうです。
7月6日。 2日目のメインイベント・・というより、今回の広島への旅のメインイベントです。 タクシーで広島市現代美術館へ。一緒に連れてきてくださったICの方々は一足先に到着されていて、館内を見学されています。あわてて追いかけてきておきながら、追いつくどころか、ますます引き離されるぐらいのペースで館内を見て回りました。 7月9日までの展覧会は「村野藤吾の建築 世界平和記念聖堂を起点に」 世界平和記念聖堂は、原爆で全壊したカトリック幟町(のぼりまち)教会に、戦後建てられた聖堂です。原爆投下から5年後に工事着工、4年の歳月をかけて9年後の1954年に完成しました。 もともと幟町教会は明治時代に建てられた古い木造の和風教会堂で、ドイツ人司祭フーゴ・ラッサール神父が日本に帰化し、守り続けてきたそうです。自らも被爆者である神父は、原爆や戦争の犠牲者を弔い、また真の世界平和の起点となるような聖堂の建設を考え、資金集めから設計コンペ、様々な困難を乗り越えて、この聖堂を完成させたのでした。 「世界平和記念聖堂」をネットで調べると、すごい量の資料が出てきます。語っても語っても語りつくせないほどのエピソードがこの建築にあるのですな。広島を訪れる前に予習しようと、結構な数の資料を読みました。 展覧会の内容は、それにも勝る本当に素晴らしい内容でした。 村野事務所が書いた原図、清水建設が作成した施工図、村野藤吾とラッサール神父の生前のビデオ、建設に関わった人々の対談ビデオ、外壁に使われた煉瓦の実物、オリジナルに設計された照明器具の実物模型などなど、ちょっと1時間程度では見終わらないボリュームです。 このブログで下手な説明はできませんな・・・ということで、長々と書くのはやめましょう。予習用に集めた資料はファイリングして保存します。 設計コンペにまつわる奇怪な話は有名ですが、やはりこの聖堂は村野藤吾が設計しなければならなかったのだ・・・と世界中に認めさせるほどの建築になったのではないかと思います。2006年には、国の重要文化財に指定されました。 展覧会は、この聖堂だけではなく、村野藤吾が設計した数々の建築のうち、80点を超える精密な模型が展示されていました。その概要や説明、現存されているものの写真なども展示されています。これもものすごく見応えありました。まだ現存している村野藤吾の建築をひとつひとつ見て回る旅に出たくなるほどです。 そごう心斎橋や難波の歌舞伎座などは、その地名を言えば頭に思い浮かぶほどのシンボリックな建築でしたが、残念なことに今はもう解体されてしまいました。本当にもったいないことです。大阪に住んでいた頃は、何度も訪れたのに、もっと真剣に見ておけばよかった・・・。 村野藤吾の建築は、たとえ図面が残っていても、2度と同じものがつくれないほどのオリジナリティ、手仕事の技、優雅な装飾、材料の稀有さがあります。老朽化、経済性、いろんな言い訳はあるかと思いますが、それを壊してしまえる日本の社会システムはどうかしていると思います。 先に見学を始めていたICの方々から、「今どこ??」とメッセージが入り、慌てて展覧会を出て、ミュージアムショップでカタログと写真集と本を購入しました。 ああ、来て良かった、本当に良かった・・・。昼をとっくに過ぎて、足は棒でしたが、建築って本当に素晴らしい!!と改めて心にガツンと来た展覧会でした。 ポストモダン全盛の頃の建築です。 展覧会の内部は撮影できませんでしたので、美術館の写真を数枚UPします。
by aiarchi555
| 2017-07-12 19:16
| 旅人
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