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原爆ドームの周りをぐるぐる回って、そのまま爆心地に向かう予定でしたが、先に時間が決まっている見学ポイントに行くことにしました。
「本川小学校平和資料館」。 はだしのゲンに出くてる小学校は、この小学校がモデルだそうです。 小学校の創立は明治6年、RC校舎は昭和3年に完成したそうです。その当時はまだRC校舎は全国的にも少なかったはず。広島市内でも最初のRC校舎だったそうです。モダンなデザインで、当時はあこがれの学校だったに違いありません。 爆心地にも近い位置ながら、RC校舎は全壊を免れました。しかし窓は吹き飛ばされ、スチールサッシの枠はねじ曲がり、木部は焼け焦げ、備品なども何一つ残らず、本当にただのRCの躯体だけが残った状態で、昭和21年2月からここで授業が再開されたそうです。 当時の写真も展示されていましたが、雨風を防ぐ窓もなく、RCのグレーの躯体の中はまるで洞窟の中のような様子。そんな中で、学校生活が送られていたのですね。それでも、学校が再開することは子供たちや人々の希望になったのでしょう。 原爆投下から間もない時期には、臨時の病院や避難場所にもなった校舎。たくさんの死体が校庭で焼かれたそうです。 今も地面の中からは、当時のがれきがたくさん出てくるとか。 入口を入ると地下の展示室に順路が導かれます。一人で訪れた私は、地下に下りていくのを一瞬ためらうぐらいの恐ろしさを感じました。焼けた設備の配管や建具枠はそのままに、コンクリートの表面も荒らしいまま、保存されています。 ここには、当時の生の原爆の被害がそのままに残されています。そして、子供たちや人々の体験やその後の復興の歴史が肌身で感じられる場所でした。
by aiarchi555
| 2017-07-10 13:10
| 旅人
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