最新のコメント
お気に入りブログ
ai建築アトリエ ~Ot... glaf blog My favorite ... 住まいとデザインのはなし... yumily sketch レトロな建物を訪ねて 今日もマウスで5分 青蓮亭日記 柴睦巳 備忘録 chisa-photolog Walking Shoes TEIONE BLOG ... 文化遺産見学案内所 モダン周遊Ⅱ 100歳まであと何年? gaRage-Reading2 カテゴリ
以前の記事
検索
タグ
猫
庭
車
写真
建築探訪
栃木県
宮崎県
本
東京
奈良県
材料
長崎県
福井県
大分県
神奈川県
広島
鳥取県
沖縄県
番組
事故
熊本県
子供の頃の思い出
福岡県
映画
建築士会
群馬県
靴
眼鏡
学校で講話
岡山県
延岡
運動
神奈川
サプリメント
うさぎ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
その13以降、なかなか、つづきを書かなかったので、これで終わり・・・となってはまずい・・と、記憶が確かなうちに、やっつけてしまいましょう。
1月12日 ■日本二十六聖人記念聖堂(聖フィリッポ教会) + 日本二十六聖人記念館 1962年 設計:今井兼次 1962年度日本建築学会賞 1597年、24人キリスト教徒が捕えられ、京都市中引き回しの後、徒歩で長崎まで連行され道中2人を加え、26人が処刑された事件がありました。この事件は、日本を追われて祖国へ戻った宣教師たちによって、ヨーロッパ諸国へも知れ渡りました。 幕末1862年に、ローマ教皇が、殉教したこの26人を「聖人」として列することを決めました。その頃、日本の鎖国が解かれ、長崎に再び外国人が訪れるようになり、長崎市内には、外国人居留地が設けられました。1864年には居留地内に、大浦天主堂(その16で書きます)が建てられました。大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」だそうで、聖人に列せられた26人に捧げる教会でした。 26人が聖人に列せられた100周年を記念して、処刑の行われた西坂の丘に、建設されたのが、この記念聖堂と記念館なのだそうです。 建物の概要や歴史については、リンク先に詳しい説明がなされています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 多分、中学生の時、修学旅行で訪れているはずですが、全くと言っていいほど、記憶にありませんでした。 設計者の今井兼次についても、ほとんど知識を持たずに訪れましたので、実際にいろいろと調べることになったのは、帰ってきてからです。 今井兼次の建築家としての実績やエピソードなど、ネット検索していけばいくほど、深みにはまっていき、この記念聖堂、記念館を設計するにあたっての今井兼次の気持ちの入れ方などの方に、むしろ興味が沸いてきました。 今井兼次は、若い頃にヨーロッパに視察に行った際、当時の建築の流れであったモダニズム建築と、その対極にあるアントニオ・ガウディも訪ねる予定にしていましたが、今井がスペインを訪れる半年前にガウディは事故で亡くなってしまい、会うことができなかったそうです。 日本に戻って、まだ当時あまり知られていなかったガウディとサグラダ・ファミリアを、いち早く紹介したのは今井でした。コルビュジェ、ミースなどのモダニズム建築全盛の時代、日本でガウディのことを称賛する建築家は少なく、今井は建築的な思想の面で、孤独さも味わうようなこともあったようです。 その後、広島の原爆跡地に村野藤吾が設計した「世界平和記念聖堂」のコンペのいきさつとか、その建築スタイルなどに、今井兼次が大きな影響を与えたことも、いろいろな記事や本を読んでいくうちに知りました。 私の好きな建築のひとつでもある、村野藤吾の「世界平和記念聖堂」は、レンガをひとつひとつ積み上げていった手仕事の跡が、独特の美しい表情を創り上げていますが、村野の傑作ともいえるこの建築の、根底に流れているものが、今井からの影響だったかもしれない・・と考えると、この今井兼次という建築家について、もっと知りたい・・・という欲にかられます。 何年も前に、買ってはいたものの、写真ばかり眺めて、文字を読んでいなかった「村野藤吾」のデザイン・エッセンスというシリーズ本も、改めて手に取り、読んでいると、今井兼次の名前が出てきたりして、興味深く改めてじっくりと見る機会が出来ました。 記念館の外壁に施したモザイク壁画は、地元波佐見や有田、唐津はもとより、宣教師たちの故郷であるスペインやメキシコなどから送られてきた陶磁器を、ひとつひとつ手で割り、貼ってつくりあげたとのこと。その当時の作業の様子を、幸運にもネット検索している中から発見することが出来ました。「早稲田建築アーカイブス 016 今井兼次」 「時間の経過というものが建築の生命力を高めてゆくものだ」(今井兼次) 「合理主義、工業主義の加速した日本の近代建築史の中で、意図的に放棄し、結果的に取り返しのつかない失敗をした・・・事態」 「建築は竣工時が最も美しく華やかな最高の時であり、時間を経るごとに薄汚れてみられないものになっていくのが建築の自然な姿だ・・・というモダニストたちの多くが抱いた考えに潜む、傲慢さへの根源的な批判」 (以上 長谷川 堯 はせがわ たかし/武蔵野美術大学教授 村野藤吾のデザイン・エッセンス3 外の装い より) 旅行から帰ってきてから、改めて、今回訪れた建築の一つ一つを振り返る、この作業を通じて、建築という仕事の重みを感じました。 これから私が関わるだろう数少ない建築や住宅の中で、今井兼次のような信念を、どれほど持って取り組めるだろうか。 少なくとも、形や結果に表せなくとも、心意気だけは忘れないでおきたい・・・と思うのでした。
by aiarchi555
| 2015-01-17 18:10
| 旅人
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||