最新のコメント
お気に入りブログ
ai建築アトリエ ~Ot... glaf blog My favorite ... 住まいとデザインのはなし... yumily sketch レトロな建物を訪ねて 今日もマウスで5分 青蓮亭日記 柴睦巳 備忘録 chisa-photolog Walking Shoes TEIONE BLOG ... 文化遺産見学案内所 モダン周遊Ⅱ 100歳まであと何年? gaRage-Reading2 カテゴリ
以前の記事
検索
タグ
猫
庭
車
写真
建築探訪
栃木県
宮崎県
本
東京
奈良県
材料
長崎県
福井県
大分県
神奈川県
広島
鳥取県
沖縄県
番組
事故
熊本県
子供の頃の思い出
福岡県
映画
建築士会
群馬県
靴
眼鏡
学校で講話
岡山県
延岡
運動
神奈川
サプリメント
うさぎ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
20年前の震災の日、私は兵庫県伊丹市に住んでいました。
伊丹市と宝塚市のちょうど境にあたる「荒牧」という町です。その当時は、区画整理事業(?)の最中で、私の住んでいるアパートの周辺には、戸建て住宅もまばらで、新しくできたマンションとか、アパートがちらほらある以外は、ほとんどが空地でした。これから開発が進むだろう・・という町でした。 一昨年の夏、父方の里である鳥取で開かれたいとこ会のあと、大阪・京都・奈良を訪れる途中に、わざわざ高速道路を下りて、住んでいたアパートを訪ねました。 町はすっかり様子を変えていました。中国自動車道の高架とか、道の曲がり具合とか、橋とか、当時から変わっていないものを頼りに周辺をぐるぐる回ってたどり着きました。空地はなくなり、大きなショッピングセンターとか、住宅、マンションなどに変わっていました。 20年前の朝、その荒牧にあるワンルームのアパートの部屋で地震に遭いました。建物は新しかったので、全く被害はありませんでしたが、駅まで歩く道の途中途中で、至る所での道路の割れ、池に家ごと落ちている光景、信号機が折れ曲がっている姿などを目にしました。近所に店はなく、駅前までたどり着いたものの、コンビニの棚に食料はなく、あの日はどうやって過ごしたのか、はっきり記憶すら残っていないのが正直なところです。 幸い、伯父が豊中市に住んでいましたので、車で迎えに来てくれて、しばらくの間、伯父の家から仕事に通っていました。お世話になった伯父は、一昨年、亡くなりました。 仕事柄、被災地に視察という名目で出かけることはありました。地震と火災の両方の被害が大きかった長田区にも出かけました。当時、被災地にカメラを向けることは、「見せもんじゃないだ!!」という被災者の気持ちを考えると、容易にできませんでした。携帯電話もまだ普及する前で、カメラ付きの携帯なんかも、誰も持っていませんし、当時の様子を残した写真は1枚も持っていません。 そして、その年の3月、結婚を機に会社を辞め、延岡に移り住みました。 なので、その後の復興の過程を見ていませんし、まるで他人事のような感覚で20年経ってしまいました。 その土地を離れてしまったからなのか、私の記憶の中から、震災の被災地の悲惨な光景が、どんどん薄れていってしまって、はっきりと思い出せないものになってしまいました。 一番覚えているのは、地震後、一旦、停電したものの、すぐに復旧したアパートの部屋で、一人でTVを付けて震災ニュースをじっと見ていたこと。そして、冷凍庫の霜が溶け出して、冷蔵庫の中にバスタオルを何枚もつっこんで水を吸わせていたこと。そして、何か食べ物を用意しなくちゃ・・と思い立って、歩いて駅前まで行ったこと・・・・だけかな。 どんどん記憶が薄れていって、その日のことも忘れてしまうかもしれないので、20年を機に、その日のことを思い出して、書いておこうと思った次第・・・・。 まだ25歳だった私の震災の記憶。
by aiarchi555
| 2015-01-17 16:03
| 俗人
|
Comments(2)
![]()
私は大阪市内の会社を辞め、延岡へ帰ってきて1年経った時でした。当時、彼氏から今地震があった!と電話があり、起きてテレビを付けてとてもビックリしたのを覚えています。凄い揺れだったのでは?地震直後は不安だったでしょうね?
建築にも大きな影響を与えた災害ですね。何度見ても阪神高速が倒れていることにビックリします。
0
*おしらさん、高速道路の高架が倒れてる映像は、ホントに衝撃でしたね。アパートのテレビで見ました。朝、ヘリコプターからの報道だってと覚えてます。
電話で状況を知らせるより、テレビつけて見て❕って言って電話切ったことも思い出したわ。 あの頃、ちょうど今の私達世代の子育て世代が、今60代とか70代になっていて、必死で復興の時代を支えて来て子育てしてきて、20年たった今、心の復興が進んでいない、というか、心の復興はあり得ないと感じている人がたくさんいるそうです。 震災に遭った時に、どんな世代だったのかによっても、この20年の生き方に大きな違いがあったんですね。
|
ファン申請 |
||